vol.90 「物づくりの立役者」 木型作り40年の人生
語り手:佐藤木型製作所 佐藤 順一様さん(61)
婆 「三寒四温、今年も春がやってきたなも。梅も満開、桜も例年より早いらしいなも」
エリ「高校の卒業式も終わって、大学進学する子もいれば、専門学校に行く子も、就職する子もいて春は門出の季節だね。なんだかちょっぴり寂しいような、新しい出会いにワクワクするような、複雑な気分だなぁ」
婆 「どこに行っても自分のベストを尽くせばいいんじゃよ。そうすれば、道は開けるものじゃ。さっ、今日も生き証人の旅に行こみゃーかね」
エリ「今日はどこへ行くの?」
婆 「大口の佐藤木型製作所の社長さんだよ。エリちゃん、はよまわししやぁ」
エリ「このお仕事はなぜ始められたのですか?」
佐藤「私は5人兄弟の長男で、少しでも早く家計を助けるために働くよう言われたんです。本当は酒屋でアルバイトをしていて、そこで就職する予定だったんだけど、親戚の会社にたまたま行くことになったんです」
エリ「木型製作って具体的にどんなことをされてるんですか?」
佐藤「工作機械とか自動車部品、例えばハンドルとかの木型模型を作るんです。わからないかもしれませんね」
エリ「修行はどうでしたか?」
佐藤「手とり足とり教えてくれるわけじゃなかったので、自分で技術を見ては盗むって感じでしたね。夜、みんなが帰ってから、一人で真似して作る練習をしてましたよ。5年間くらいして、独立しました。二〇歳のときに五十坪の土地を購入し、二十三歳で自宅を建て、二十四歳から今の商売をスタートしました」
エリ「二十三歳でマイホームって、すごいですね。何か心に残る思い出はありますか?」
佐藤「丁稚奉公の頃、建物の裏に水道管が置いてあって、それを売って小遣いにしてしまったところ、後日、親方から裏の水道管知らんか?と聞かれ、知りません、と答えた。その後もたぶん親方は知ってたと思うんだけど、知らんか?と聞かれるたびに良心が痛みました。それ以来、二度と嘘はつくまい!と心に誓い、今に至っています。子供たちにもこの話はよく聞かせました。お陰で、とても良い正直な子供に育ってくれています」
エリ「いい教訓をありがとうございます。私も肝に銘じます。楽しかった思い出はありますか?」
佐藤「自分たちで作った軟式野球クラブが高松宮杯で準優勝したことかな。一日に3試合して盛り上がったよ」
エリ「独立後お仕事のほうは順調でしたか?」
佐藤「お陰様で、今まで営業しなくても、お客様のほうからご注文をいただけるのでありがたいです。お金を追っかけて仕事をしちゃいかん。仕事を追っかけていれば、お金は後から自然についてくる・・・そんな気がしますね」
婆 「ほんとだなも。営業しなくても仕事があるなんて、理想だなも。すばらしい」
佐藤「あ、でもあんまりお金に無頓着だから、毎月何十万も請求し忘れて、お客さんの方から請求書下さい、と言われたり、税務署から、逆に大丈夫ですか?と心配されることもありました。アハハ」
婆 「余裕すら感じられるなも。順風満帆だったなも」
佐藤「そんなことばかりでもなく、平成元年にたまたま金融公庫に融資したいと言われ、コンピュータとフライスを買ったんだけど、バブルがはじけて3年間仕事なし。本当に困ったんだけど、ハイテク技術を研究して、巧みの技とを融合させて一歩向上し、おかげさまでまた仕事がくるようになりました。平成5年、それを使って愛媛県のプラネタリウムのドーム押型を任され、成功したときはほんとに嬉しかったですね」
エリ「将来の夢はなんですか?」
佐藤「子供たちも、後をついでくれるようで、五百坪の土地を買ったので、さらに工場を拡大し、第三工場を考え中です。実は、五十九歳十一か月、還暦の直前に脳内出血で倒れ、一週間意識不明だったんです、ところが、ちょうど六〇歳の誕生日に意識が戻ったんですよ。還暦に生まれ変わったと思い、このときは本当に神様に感謝しました。妻には、仕事のストレスをぶつけてしまい、迷惑かけました、子供たちも受験勉強どころじゃなかったときもあって、今では深く反省してます。妻には、今まで支えてもらいありがとうと言わせて下さい。後は、おこがましいけれど、これからは人生の集大成として我々の技術は機械じゃできない、職人の熟練した巧みの技を若者たちに伝承していく時間を作りたいと思っています。少しは社会に恩返しができたらいいなぁと思っています。」










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