2月号 心のあり方問う宗派の教え
語り手:薬師寺副住職 山田法胤さん
――50年にわたり薬師寺の移り変わりを見てこられたわけですが、若いころは薬師寺に対しどういう見方をしておられましたか。
山田 入山した当時、葬式をせず墓地も持たない薬師寺は貧しいものでした。若いころはどうして葬式もせず墓もないのかと思いましたが、そういう寺院こそが本来、仏教の教えを説く場なのだということが分かっていきました。一般的にお寺というと死者を極楽に行かせてくれるのが目的のように思われがちですが、薬師寺はそうではなく、国の繁栄や万人の幸せを祈ってきたのです。
――そうしたことは南部の大寺院全体に言えることですね。
山田 そして、その幸せとはもともと、飢え死にしないことだったのです。昔は飢え死にする人が多かったため、五穀が順調に実り、自然災害が起こらないように祈ったのです。幸せとは何も極楽に行けることを意味するのではなく、そうした心身安楽の生活を意味したのです。現在も、食糧危機などについて真剣に考えないといけない時にきていると思います。
――薬師寺は興福寺とともに法相宗の総本山ですね。
山田 アカデミックで仏教の根本にかかわる宗派の寺であることを誇りに思っています。法相宗は救われることを求めるのではなく、なぜ私たちが極楽に行けないのかということを追求する教えで、自己の心のあり方を問う哲学だと思います。
――そうした法相宗の教えを勉強されるのは大変だったでしょう。
山田 若いころは朝5時にお参りして、掃除し、おかゆを食べたあと、師匠から1時間ほど講義を受けました。分かっても分からなくても話を聞きましたが、師匠の機嫌が悪かったら、2時間ほどにのびることがあり、学校に遅れそうになりました。そうした毎日の講義でよく分からない話も多かったのですが、今になるとあれはこういう意味だったのかと思い当たることがあります。だから、人は分かっても分からなくてもまず辛抱して聞くことが大切だと思います。今の時代は合理的な勉強法が支配的ですが、僧侶の世界は違います。草引きや掃除をおこなうことがどこかで人格形成や仕事に生きてくるのではないでしょうか。
――その時直接関係なくてもどこかで役立つことがあるのですね。
山田 私も今は、信者さんらに話すときはお経のことだけでなく、関連する物語などを話します。要点は1割で、あとの9割は例え話のようなものです。その方がいいことを薬師寺での50年間で学びました。
(聞き手 岩口利一)
やまだ・ほういん
昭和15年生まれ。31年、薬師寺に入山し、39年、龍谷大文学部仏教学科を卒業。平成10年、執事長、15年から副住職。喜光寺住職。著書に「薬師寺」「仏陀の風景」など。










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