1月号 先人の苦労偲んだ慰霊法要
語り手:薬師寺副住職 山田法胤さん
――ところで、大学を卒業した年にはアリューシャン列島のアッツ島へ戦没者の慰霊法要に行かれたそうですね。
山田 アッツ島へはアンカレジからアメリカの軍用機で行き、5日ほどかけてあちこち回りました。日本では暑いときでしたが、現地は夜になると5度程度に冷え込んだと思います。遺体は処理されておらず、そばに墓標だけが立てられて草が青々と生える寂しい光景が目に焼き付いています。それに、日本の羽田(空港)に戻ったときに感じた悪臭に驚きました。
――その悪臭とはどんなものですか。
山田 アッツ島は無人島のようなもので、空気も澄んでいましたが、帰ってきた日本には何かが腐ったようなにおいが満ちていたのです。その当時は工業が盛んになってきたころで、日本という国はこんなに臭くなってしまったのかといやになったことを覚えています。
――アッツ島以外の各地にも慰霊法要に行かれたのですか。
山田 アッツ島に行った後は毎年、サイパンやパプアニューギニア、フィリピン、ブルネイ、シンガポール、シベリア、ミャンマーなどに行きました。現地は戦闘機が落ちたままになっていたり、大砲がそのまま置かれたりしているところが多くありました。大勢の人が自殺したというサイパンのバンザイ岬なども訪ねましたね。
――現地で何を感じられましたか。
山田 現地の案内人に、ものを食べ、枕を高くして寝ていては当時の人たちの気持ちは分からないでしょうといわれ、目からうろこが落ちたような気がしました。いくら法要でお経を上げても、自分らは結局ぜいたくな生活をしているので、本当に申し訳ない気がし、亡くなった人たちの大変な苦労があって今日の国の繁栄があるのだとしみじみと思いました。戦後60年が過ぎましたが、今後機会があるならまた慰霊法要に行かせていただきたいと思います。
――厳しい気候の現地に立つと、やはり実感されることがあったでしょうね。
山田 気温が40度ほどに上がるところもありましたが、悲惨だった当時のことを思うと、暑いとさえ言えませんでした。日本の軍隊は現地でまず食料の調達から始めただろうし、ずいぶんと苦労したことでしょう。現地に立つとそういったことをいろいろと考えました。それに、戦争は二度と繰り返してはいけませんが、繁栄した国にあってあまりにも緊張感のようなものが失われるのは寂しいものですね。そんなことも感じました。
(聞き手 岩口利一)
やまだ・ほういん
昭和15年生まれ。31年、薬師寺に入山し、39年、龍谷大文学部仏教学科を卒業。平成10年、執事長、15年から副住職。喜光寺住職。著書に「薬師寺」「仏陀の風景」など。










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