vol.85 戦後、高度成長と共に生きてきた主婦の人生
語り手:飛高町 渡辺さん(71)
エリ「お婆ちゃん、最近、掃除に燃えてるね?」
婆 「そうなんだわ。八月に日本を美しくする会の鍵山先生(イエローハットの創始者)と一緒に便所掃除の会に参加してから、掃除の姿勢が変わったんだわ。『掃除は心を磨いとる』んやと。そんな気持ちが自然にわいてきて、楽しい気分で掃除ができるようになったんだわ。結構長く続いとるよ」
エリ「へぇ~そんな気持ちになるんだ。掃除なんて、めんどくさいのになぁ。」
婆 「そんなこと言っとっていかんがね。自分の勉強部屋を片付けや~。きっと、いいことあるよ」
エリ「ほんとにぃ~?じゃ、お掃除してこよっと。その前に、今日は、どこに行くの?」
婆 「今日は、働き者のご婦人がみえるでお話を聞いてみよみゃ~。エリちゃん、はよ、まわししや~」
エリ「出身は、どちらですか?」
渡辺「名古屋の呼続で生まれ、4日後には、父の仕事の関係で(石の切り出し)西加茂郡高橋町(今の豊田市)の山の中に住むことになったんです。そこは、当時、電気も来てなかったので、ランプ生活でした。ラジオもテレビもなかったですよ」
エリ「ええ?ランプ生活なんて、毎日がキャンプみたいですね」
婆 「これこれ、そんな甘いもんじゃないよ。エリちゃんは、経験ないで電気のない生活がどんなに大変かわからんわなぁ」
渡辺「ランプは薄暗かったですよ。いろいろ不便だったけど、兄弟姉妹が多かったので、お手玉やなわとび、石蹴り、ビー玉、おはじきなんかして楽しく遊んでました」
婆 「懐かしい遊びだなも。わしもよぅやったもんだわ。なんかしらんけど、最近、脳科学の研究で、お手玉遊びがいい脳波形を示すらしいって言っとった。ファミコンやパソコンゲームばっかやっとると猿に近い脳波形になるらしいで、気をつけてちょう、えか」
渡辺「そうなんですか?孫と一緒にお手玉で遊ばないかんね。私が小学校1年生の時に戦争が始まったもんで、勉強どころじゃなくなって、軍事の勤労奉仕ばかりでしたよ。山の中だったもんで、空襲の被害もなかったし、食料にはわりと苦労しなかったかなぁ。」
婆 「被害がなくてよかったなも。わしは、名古屋に住んどったから、空襲で家が燃えてまったし、家族ばらばらになって親戚のうちに疎開しとった。食べ物もろくにもらえなかったから、栄養失調になって病気になったもんだよ。あんな戦争は、二度と体験したくないのぉ。北朝鮮、大丈夫かのぉ~」
エリ「その後はどんな人生でしたか?」
渡辺「中学を出てから、三重県の四日市の紡績工場に就職して、結婚するまで十二年間勤めました。昭和三十六年に、結婚して江南市に引っ越してきたんです。江南市も変わりましたよ。今のバローには、ほてい屋があり、その隣には、蚊屋(かや)工場があり、向かいには、大島やのスーパーがありました」
エリ「結婚後は、どんなお仕事されたんですか?」
渡辺「子供が中学になったころから、パートに出て定年までいろいろな仕事やりました。若い頃に、占い師に、『あなたは一生働くでしょう』と言われたことがあり、本当にその通りになっちゃったわ(笑)七十一歳まで病気したこともなく、働けるのはありがたいことです」
エリ「辛いことはありましたか?」
渡辺「あったかなぁ。いやなことは、すぐ忘れる性格なんで全然覚えてません」
エリ「では、楽しいことは?」
渡辺「毎日が楽しいような。働くのが好きだし、中途半端がきらいでなんでもきちんとやらないと気がすまない性格なんです。お掃除も綺麗にしないと気がすまないんです」
婆 「いつも綺麗に掃除やってちょうすで、会社の人たちも、気持ちよい環境で仕事ができるのぉ。ありがたいなも。会社のことは、トイレを見ればわかるとまで言われとるでなも。重要なことだなも」
エリ「夢とか希望はありますか?」
渡辺「大きな夢はありませんね。ただ子供や孫たちには、健康で無理をせず誠実に生きていってほしいという願いだけです。私は、いつまでも健康で働かせていただけたらうれしいですね」










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