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2006年11月13日 (月)

11月号 母との別れとあんパン

語り手:薬師寺副住職  山田法胤さん

――出初めて薬師寺を訪ねた日のことは覚えていますか。

山田 母親とバスと汽車を乗り継いでようやく近鉄西ノ京駅に着いたときのことを覚えています。駅をでると、何もない暗い通りが続く、寂しい所でした。その夜は何ヶ月も干したことのないようなふとんで寝、翌朝は4時半に起こされてお堂に行き、おかゆを食べ、ぞうきんで掃除をしました。その朝、師匠の橋本凝胤さんと正式に会い、新たな生活が始まったのです。そして駅で母親と別れました。

――当時の薬師寺は今とはまったく違ったでしょうね。

山田 当時は貧しかった。境内は今の4分の1程度で、東塔と金堂と小さな講堂、東院堂があっただけで、周囲は田んぼでしたね。

――幼い身にとってお母さんとの別れはつらかったでしょう。

山田 母親はその時、駅前の万屋であんパンを1個買ってくれました。そのころ10円ほどだったと思います。母親は「師匠の言うことをよくきいて頑張りや」と私を励まし、「パンは寺で食べたら怒られるからここで食べや」と言いました。私は言われた通りその場であんパンを食べました。そんな母親との別れから丸50年たちました。

――あんパンは思い出の品ですね。

山田 あんパンを買ってもらったときは別れが悲しく、涙が出ましたけど、たまらなくおいしかった…。思い出深く、私の人生の節目です。あんパンといえば、今、住職を務めている喜光寺(奈良市)はかつて荒れた寺で、何とかしないといけないと思っていたときに何人かがお参りに来てくれました。その時、ある女性があんパンを30個お供えしてくれたのです。

――その女性は副住職の話をどこかで聞かれたんでしょうか。

山田 あんパンを持ってきてくれた理由を聞くと、ただ「ちょっとお供えしておこうと思いまして」とだけ言われました。2月2日は喜光寺を創建した行基の命日です。それで毎月2日を縁日にしようと考えた際、何かの縁だと思ってその女性にあんパンを毎月供えてもらうようにお願いしました。それが平成4年から続き、今は50個も供えてもらってます。

――あんパンがつないだ不思議なご縁ですね。

山田 それにあんパンはいろいろと調べるとおもしろい。明治に生まれた和洋折衷のものなのですね。それに昔は国会の3時のおやつといえばあんパンだったそうです。明治の文化の1つですよ。

(聞き手 岩口利一)

やまだ・ほういん
昭和15年生まれ。31年、薬師寺に入山し、39年、龍谷大文学部仏教学科を卒業。平成10年、執事長、15年から副住職。喜光寺住職。著書に「薬師寺」「仏陀の風景」など。

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